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人物名

人物名竜造寺平馬 
人物名読み 
場所 
生年 
没年 

本文

大和郡山の旧主、本多侯の臣、竜造寺平馬は勇気邁人ニ、しかも慈仁あり。禅学をも好む。劔鎗の術に長じかつ巧思ありて常に帯る所の大小刀なども自鍛冶し、用るに当るを期す。或ル時、夜更てうらの方に物音するを、唯ひとり聞付て、枕もとにある劔を帯び、左ノ手に燭を捧て、戸口を引あくれば、やがて額に切付んとするものあるを、はづして其手をとらへ、燭をもて面をみるに、もと召つかひし奴也。平馬徐々として曰、おのれはにくきやつかな、されどあないしらぬ所へは得入らで、こゝへ来るならん。はた奴が態にて我を切らんとするや。されど主に顔をみられて面目なく、せまりてのしわざならん、いづこより入て何ごとをかせし、もとの道へゆけ、と捉へながらあゆまするに、米倉の壁こぼちて有リ。うらの土屏にはひ入たる穴あり。よしよしこたびはゆるす。もし他人の家へ行たらば忽チ命を失ふべし。今より必心を改よ。いでものとらせん、もとの穴を出てしばしまて、とつきはなちて、さて、米倉のこぼちし所より手をさしいれて、折ふし収納の時にて、杉なりにつみたる俵の中より、二タ俵引ぬきて両手に引さげ、塀ごしに投出し、それもちてとく行ケ、といひすてゝ、うらの戸引たてゝ入リて寐たるを、家の内しる人なく、夜明て、倉も塀も切ぬきたる穴あるを、若党、下部など見付て、あはたゞしくあるじにつげたれば、うなづきわらひて有しとなん。その他の所行はしらねども、此一事もて其人がらいとかぐはしく覚ゆ。こは其劒術の門人、同家中の浪人、竹村柳園子のものがたりなりき。