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人物名

人物名加々美桜塢 
人物名読みかがみおうお 
場所江戸  甲斐山梨郡下河原山王権現社  京都 
生年 
没年 

本文

加々美信濃守源光章、桜塢と号す。甲斐国山梨ノ郡山王権現の神職也。人となり温柔、恭敬にして博学多聞。国学はさら也、儒、仏、道家、音律、有職、天学、暦算等の書にも亘れり。和歌は風竹亭の翁に学び、文学は三宅尚斎にとふ。初メ家貧にして油なし。線香をくゆらし、その光をたのみ書をよむ。学成りて後、隣国凡十ケ国より門に遊ぶ者多し。神学指要をあらはし世に行る。余は稿を脱せず。世寿七十四にして卒す。平生一言を交るもの皆服せざるはなし。こゝに話一、二条を挙てその人をしらしむ。此門に山県某といへるものあり。もと甲斐の産にて、学成て後、東都に徘徊し儒を唱ふ。然るに其学術よからず、国禁に触るゝ上を以てとらはれ、終に刑せらる。是に坐して此翁もおほやけの疑ひをうけ、庁へめし給ふことありしが、いくほどなくて本国にかへるを、知己の者酒肴を齎し来りて、恙なきを祝ひ宴を設く。酒闌なる時戯ていふ、翁の関東へめしにあひ給ふころもさして恐るゝさまなく、又けふこと故なく本国にかへり給ひても喜べる色なし、如何、といひしかば、笑ひて、我もと犯せる罪なし、しかれども孔夫子すら陳蔡の厄あり。ましてわれらごときにおいてをや、もとより無実のことなればなどか解ざらむとおもひしかば、とけてもまた今更に悦ぶへきにあらずといふ。又此あたり近き所に桶屋あり。其あるじ神道を学び、浄衣を着、烏帽子を引いれて朝夕中臣の祓をよみ、幣とりてぬかづく。或ル時来りて神道の事を聞ク。翁曰、神道は神職祝子すら守ることあたはず、まして家業桶屋なればなほさら也。元ト神道は天子の治め給ふ道をいふ、其外に神道有ルにあらず。桶屋の神道は正直正路をむねとして家業をつとめ、父母に孝を尽し、朝夕先祖の位牌を祭り、己が宗旨により、神をも仏をもたゞうやまふにしくはなし。汝がごとき身の浄衣を着し祓をよむこと、かつはおそれ多し。けふより改むべしとをしゆ。桶屋も其ことわりに服し、従来の行をかへ、両親につかへて孝をなし、神をぬかづくのみならず、念仏をもまうしけるとぞ。また一書生来りていふ。おのれ今度諸侯の召に応じて医官に命ぜられ、禄を給はりて東武にゆく。可キ悦ブ事ながら、もと神官の家に生れながら、髪を切テ僧形たらんこと本意ならず。口をしければ辞し奉らんや、いかゞ、と問ふ。翁曰、汝、禰宜の家に生るといへど、三男也。故に家事にあづからず、医を業とするは父の命也、今諸侯に出仕して僧形となるも、先祖を恥しむるにあらず。出仕の誉莫大なり。当時、皇家すら皇子を出家せしめ給ふ例あり。然れば道に背ける道理もなし。心一決して出られよと。爰においてこゝろよく出仕せしとぞ。又ある時書生等集りて、唐山と我邦との是非と文物の多少を論じ、すでに高声にいひつのりければ、曰、我邦はもとことばの国なり。文字にうときは理也。其上、文武に配すれば吾邦は武国也。陰陽に配すれば我邦は陽也。陽は形なきを尊ぶゆゑに、草木の花うるはしく咲り。唐山は陰也。陰は形をとゞむる故に、草木実をよく結ぶ。陰の徳故に文物も亦多し。是文国のしるし也と判ず。其余、話多けれども省きぬ。思孝又其詩歌を多く聞しかど、皆遺失社り。其中に歌一首記憶したるをしるす。

五月の晦日に身延山にまうづる人をおくる、

雨にきるみのぶの山に長ゐすなけふさみだれの空もはるゝを