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人物名

人物名横井也有 
人物名読みよこいやゆう 
場所尾張藩  尾張海部郡西音寺 
生年 
没年 

本文

也有、横井氏、、俗名孫左衛門、尾張の士也。篤実、謹厚にして文雅を好み、殊に俳諧に長じ世に名有。芭蕉流を喜びてしかも定れる師なしとぞ。 閑田子、一とせ彼国に遊びて其著述鶉衣、うらの梅といふ俳諧体の文集をみるに、そのさまいやしからぬのみか、鼓舞自在比類なく覚ゆ。はた生前をよく知る人にあひて其行状をきくに、文章にかゝれたる趣と言行一致なるに感ず。故に今此伝をたてゝ二三を挙揚せり。わかきより病がちなるにより、五十斗にて致仕せる時、隠居に携ふる所の諸器物すべて、褻と盛とふた通を用ず、煩はしきをいとへるに、相識ル人何をがなと風流の器に意を用て贈らるゝを、辞するも来意にそむく故、これかれとつどひて本意にもあらずなりたり、とかたられしといふ。文章にもこのことあり。又六十の歳、賀を催さんといへるを、妻子こそ悦びもすらめ、他人にあづかるべきことかは、ととゞめしと書れしも実事のよし。世人の一面の識なき遠近に乞もとめて、己が賀は詩歌連俳何百何千におよぶなどほこるには、天壌のたがひにして、ことにたとく覚ゆ。又旅行の記のうちに、一ト夜ながれのうかれめのさまなどをねもごろに書て、さていふ、凡ソ人情はよく察して尽すべし。自己はかたく慎むべしとなん。これらは恋歌などよむうへにかけてもおもふべきこと也。又生涯はいかいの門人といふものなし。二歳の小児が舌しどろにものいひたるが、おのづから五七五にかなひたるがをかしくて、是ひとり弟子とおもへると書れしは即俳諧にして、弟子なきは世禄の家にしてさるべきことながら、やゝもすれば上手といはれんとて、さしもなき人も、己レに諂ふものを勧めて其業をなさしめ、弟子門生などいひなすがあるにとりて、これも亦一つの操なるべし。尚一句一言の間にも己レをつゝしみ他を諷ずる意見えて殊勝なり。予は其数奇の俳諧をばおきて、その人がらの君子なるをたうとむ。発句、文章は各集あればこゝには挙ず。又戯れにかゝれたる野夫談といふは、其趣向、家に出入する農夫が江戸に下りて、太宰氏が四十六士論を書生の読をきゝて其意をとひ、ふしんに覚えし旨をかたりしに托して、彼論の非を、条を追て例の滑稽にかけり。真名にて是を難ぜしものは五井氏の著をはじめ、諸家の難陳等あれども、かなにて興あるやうに書しは此野夫談のみにて、しかも確然たる義論、諸家の論にまさるとも劣べからず覚ゆ。又小皮籠とて今やうのざれたるさまに書て、其邦内のわかうどの風義をいましめ、又婦女子のたしなみなど書れしもの、おもしろく、其人をしるべき一端にもあれば、おのれはうつしもてり。長寿にて、八旬の時に国君より同列同齢の一両人と共に、賀の饗を賜へりとなん。実に如キ此ノ人は其国華といふべし。