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人物名

人物名英一蝶 
人物名読みはなぶさいっちょう 
場所大阪  江戸  三宅島  江戸麻生常教寺顕乗院 
生年 
没年 

本文

本姓は多賀、狩野安信に従ひて画を学び狩野信香と名乗しが、後師の氏をかへして多賀長湖とあらため、後又、英一蝶といふ。花顚は長湖の名を出さず。しかれども閑田子むかし江戸にて此伝を見しには長湖といへり。又或説には嶋に流されて年をひし後、ある朝草花に蝶のとまりしを見居ける時、赦免の船来たりしかば、これより英一蝶と改めしともいへり 画風一家の趣をなす。頗ル勇猛の手也。性胆勇あれども母に仕へて至孝なり。一旦故ありて遠島に流されし間も、画を母に贈りて衣食の料に充。後赦にあひて帰りて其画ますます行る。或ル時、両大国の主、石燈台を争ひもとめ給ふきこえありしかば、やがて走行て数多の金を出しておのがものとし、狭き庭の内にうつしける。折しも初茄子を売者あり。価の貴きをいはず、需て生漬といふものにして喰ひ、彼燈台に火をともし、天下第一の歓楽なりといへり。其磊落豪放およそ此たぐひとぞ。北窓翁と号せしはいつよりのことにか。はじめは摂津国にあり、後江戸にすめり。文雅も有し人とおぼしく、自賛の発句ある画もみゆ。、歿る年七十一、麻布常教寺に葬れり。

(追記)

蒿蹊曰く、島にて出生せる子、後に江戸へ来たるが、画はよくしたりしかど、人がら野鄙して礼法なく、実に島人にてありし。世に是を島一蝶といふ。早世して残る画甚稀なりと、よく知人かたりぬ。弟子一蜂、英の氏を嗣て師の画風をなせれども筆力はやゝ劣るにやとおぼし。おのれは少年の時江戸にて一見せりき。