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人物名

人物名中倉忠宣 
人物名読みなかくらただのぶ 
場所 
生年 
没年 

本文

中倉忠宣は、伊勢朝熊の産にて、京に来て学問す。故ありて花顛子が外舅太田良輔が弟と称す。良輔も聞香の伎に名あり。 廿五といふ年、ことしは死すべしとて、もてるもの皆友だちにあたへ尽せしが、はたして一月余リして病に臥たりしに、人々いたはり医療をつくして癒ぬ。是より忠宣物をものともせず、吾既に死を極しに生たれば、今よりの命は世の外のもの也と云ひて、春秋の花もみぢには、酒呑て夜昼をいはず、金をみれば人の物ともいはずつかひすてつ。吾物あれば人に与ふること石瓦のごとくす。されども夏冬は門戸を閉書をよみて、あへて人にまじはらず。四条高倉の南に独居せる時、友だちたびたび呼むかふれども出ず。ゆけども戸を開ざれば、相はかりて、食ある故にかくのごとし。今より糧をあたへずしてこゝろみんといひて、一人も物をおくらず。此時常の産なきゆゑ朋友の助力を得つ。もとより多芸なればそれを学ぶ人も食を贈る。 されば数日をへていかにともせんすべなかりしに、折ふし門を過る雑貨賈有しをよびて、ありあふ衣服を銭壱貫文にうり、さて此銭のある限鮪といふいをゝ買て、明くれたゞ是を喰て過せり。友だち折々うかゞふに、もの音もせねば、もし飢て死たるもしらずと門の戸を破りて入て見るに、かの魚を喰ひて居しかば大にわらひぬ。またある夜、清滝河に行て篳篥を吹すさびしに、川音のさゆるにしたがひ、しらべ澄渡て面白かりければ、霜雪の夜を重ねて四十日にあまり、一夜もおこたらずかしこにあそびしほどに、明る正月の比より寒湿に犯され、痿躄の症となりぬ。かゝりしかば、いさゝかなる勧進帳をとゝのへて、 cxC0020002

みよしのゝ花や乞食をしてなりと、

ゝかきつけて恥るけしきもなく、大路をいざりながら、知己の家々へ廻りしかば、日ならずして許多の金を得つ。さて、よしのへ駕籠に乗てゆき、かへるさには大坂へ出て、またそこの知る人の家々へ廻り、此たびはみよしのを橋だてとかへ、花を月にして勧進帳に書つけたれば、誰も興じて又数金をあたへたれば、はし立より城ノ崎の湯に浴し、其功能にて脚疾治したり。それよりはいづことなく行脚して、十三年を経て大坂へ帰り、妻をもとめて住しが、又あるとし伊勢へ詣る人を送て、枚方までとて行つゝ、直に伊勢へ伴ひ、又彼ともに別れて志摩へ渡り、其後遊ぶ所をしらず。五とせ経て帰りし。此妻かよ子は貞操ある人にて、忠宣旅にある間は、人のために裁縫のわざをし、又導引などをもして世をわたり、夏は蚊帳をたれず、冬は火炉によらず、夫の旅の苦労を思ふ故となん。人生れて忠宣が妻となることなかれとぞいはまし。忠宣五十七といふ冬、かの兄とせる良輔がもとにありていはく、来んとしの二月初には必死ぬべしと、花顛に命じて我像を一筆書にかゝしむ。花顛この時十歳にみたざれば、何の心もなく、いへるまゝに数枚画たれば、其上に自筆を染て、

何やらに忠宣といふ名をつけて月よ花よと騒げるかな

是をかたみとて人々に与へたり。さるに、果して明る春二月七日に終れるも不思議なりき。此人、歌、連歌、詩作にもうとからず、香は殊に勝れて、御家流といへるものを伝へ、百炷に二三をあやまらず、人も賞したり。其詩歌の口号は花顛幼時なれば記得せず。また自書とゞむる意もなき人なればのこらず。をしむべし。

○忠宣、志摩よりいづこへか行し五年の間のことゝかや。某山中にて一奇人にあへり。人跡絶たる所に庵を結び、年も老たるが、いろいろのもの語をし、さていへることは、此前なる谷川の水出て橋落る時は、食物をもとむべき通路絶なんと、唯是のみ心にかゝりしが、此比はさとりて、我命ある限は食有べし、食尽るは我命の終る時也とおもひさだめつれば、甚やすしといへるには、さしもの忠宣も胆をおどろかしたりとなん。如何なる人の跡をかくせるにやといとゆかしくこそ。其国所も聞しかど、花顛幼ておぼえずといへり。