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人物名

人物名僧 無能 
人物名読みむのう 
場所陸奥石川郡須釜村  江戸増上寺 
生年 
没年 

本文

陸奥の無能和尚は浄宗の大徳にして、四十未満の遷化なれども、其間自行化他の行業類なきことは、其伝記既に世に行るればこゝに挙ず。中に一奇行、安きにゝて甚難きことを記す。まだ若くして行脚の折、或家に投宿有しに、その家に好女子あり。和尚の面貌甚美に、伝記には地蔵ぼさつの化身といへり。其美知べし。 気韻清高なるを見て、恋慕のおもひ焼がごとく、起居静むるに堪ず。夜深更に及び、しのびて其寝室に至りしに、和尚はもとより常座不臥を持すれば、屏風を廻らしたる中央に端座して、微音に念仏せり。女子やがて背より抱くに、おどろくけしきなく、念誦気平かなるさま、猶蜉蝣の樹を撼すがごとく、蚊子鉄牛を噛むがごとし。半時ばかりをへて、女自放て出たり。朝に及て狂を発し、独言して恥をのぶ。和尚憐みて、為に念仏を授て後、やうやう愈ルことを得たり。女子是より後、終身嫁せず、念仏して逝せりとぞ。

(追記)

或人曰、子亦婆子焼庵の則をしるや。婆氏一庵主を供養す。一日二八の好女子をして抱き住していはしむ。師恁麼時如何。僧曰、寒厳枯木三冬ニ無シ暖気。女子婆に告、婆二十年来此俗庵主を供養すといひて、終に僧を放出して庵を焚。今此和尚のことにゝたり。是非如何。予曰、凡古則は別に一隻眼を開て看べし。此和尚の実徳と相通ぜず。もし然らずといはゞ、誠に子にとはん。庵主あるひは女子に淫せば、また婆氏何とかせんと。或人微笑して去。

又或人語らく、王陽明いまだ弱冠の日、及第のため京師におもむく途中、投宿せられし家に、艶色比類なき寡婦あり。夜忍びて陽明の臥床に至りしに、猶いねやらず、旅装中の書を取出し見居リければ、驚きたれども、止がたき思ひの程をのべ死をもていどむ。陽明、静に九相図詩の意を説て、無常を示されければ、聞得て涙をながし、教誡により操を破らざりし恩をのべ、罪を謝して退たりといふことありとなん。何の書に見えたるやしらず。是は趣意全くひとし。於呼幾人かこゝに至りて一生を誤る。白刃をも踏べし、此境に動されざるは難からずや。