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人物名

人物名長山霄子 
人物名読みながやませうこ 
場所 
生年 
没年 

本文

霄子は水戸府城、長山七平某が女にて、奉行職師岡与右衛門綱治が妻なり。夫婦のあはひむつまじく、奴牌をかへりみて恵めり。すべて内を治むるの婦徳うるはしきが中に、善助綱常は家碑の産所なりしを、やがてみづからの子とし、其碑をふかくいたはりて、湊村の某に嫁せしめ、綱常を愛育すること、我生所のごとくなれば、母子の間、いさゝかも隔ることなく、綱常もまた孝行ふた心なく、もとより彼家碑のうめるといふこと、十四五歳までしらずぞ侍りし。其幼りし時病を憂たりしに、霄子医薬を嘗試るあまり、人目をつゝみて夜に紛れ、神崎寺の観音大士へ素足にて参詣し祈りける。感応のことわりむなしからで、その病愈けり。是世の中の養母継母のいましめとなり侍けん。更に家碑をえらびて綱治にめさせ、其碑をも又いとほしきものに教導て、織縫何くれまで、女職をならはせたり。古人曰、凡婦人のうまれつき妬を甚しとす、もし妬なくば百拙捨べしとぞ。鳴呼霄子や、妬薄ければ世中の妻女の教となり侍らまし。又綱治久しく召使たる若侍、おほけなく霄子に心をかけて、さまざまいひなびけんとせしが、或時綱治他に行し留主に、その閨にしのび入しを、かねて用意やしたりけん、かねよき脇指にてかひがひしく切ければ、唯吽という声ばかりにて死しけり。傍の衣装うちかけてさりげなくものし、綱治帰りたるに、始てしかじか趣始終を語けるとぞ。女の密夫すること、かくれてもあらはれても、たまたま聞えて其身の恥のみならず、親はらからまでの名を穢すことなるに、此霄子の潔こゝろもちに、綱治手をいたはらさず、家のうちのさわぎもなきふるまひは、またためしすくなくぞ侍る。以上の婦徳をおもふに、もろこしの書には、賢女、節女、烈女など、ことごとしくしるしたるにはいやまさりてぞおほえ侍る。正徳三年の春より病つきて、同じく七月二十四日に身まかる。齢四十二。江戸駒込、大乗寺といふにはうぶりて、妙珠院月澄日冷と諡せり。まことに惜べくたとむべき貞烈の婦人ならずや。