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人物名

人物名柳沢淇園 
人物名読みやなぎさわきえん 
場所大和郡山 
生年 
没年 

本文

淇園柳沢氏、諱里恭、字公美、一号玉桂、通名権大夫、大和郡山同姓の士也。文学、武術を始て人の師たるに足れる芸十六に及ぶとぞ。仏学さへこゝろ得て、倶舎論を聞し僧もありけるとかや。中にも画に長ず。朱舜水伝来の彩色の法を紀の祗南海に学て、ことに人物の設色世これを賞す。水に漬し力を用て揉洗へども落ずとなん。為リ人ト曠達不拘、客を好みて、才不才をいはず。寄食せしむるもの幾人といふ数をしらず。あるひはかりそめに来たるものをも年を経て還さず。家禄多けれどもこれかために乏しきに至る。初メ某の年、侯使として登極の御賀のため都にのぼりしついで、大雅にまみえて相歓し、これより往来たえず。ある時、大雅大和に行しに、路費尽たれば、仮初に立よりて是を借るに、例の如くとゞめ、門を閉て還さず。家臣又いふこと有、幸にとゞまりて内を好まるゝの病を諫給はれ、多慾のために身を亡し給んを憂といふ。こゝに大雅諫て、其よしを説て曰、もし諫に従ひ給はゞ止らん。聞給ずば速かに還んと。あるじ首をふりて、諫にも従はじ還しもせじと。ますます門を堅くして守らしむ。大雅、終に裏の垣をこえて帰りしと也。或時は駅路に出て、回国あるひは順礼の道者をも引て、礼をあつくして留るに、鑓をたて供人あまた具したれば、刀のためしものゝ料にあざむかるゝならんと心得て、大に懼てにぐるもの多かりし。又博奕の罪によりて此境を放たるゝ者を、吏に私して邸の内に引入ていふ、生涯こゝに宿さば、猶禁獄も同じと。其者をも賎しめず、詞を厚くして其伎をなさしめ、その術の入ル微ニをよろこぶ。又ある時には従者あまた引つれ、馬上にて野路を過るに、女乞丐の絃歌して銭を乞ものにあひて、やがて其絃をとりて自弾すざびて興に入リ、金をあたへて去ル。絃またもとより妙手なりき。凡所為ス人の不意に出るは、王子猷に似たりとやいはん。客を好むは鄭在、孔北海の風あり。

図版