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人物名

人物名山村通庵 
人物名読みやまむらつうあん 
場所 
生年 
没年 

追記
人物名松本駄堂(松本駝堂) 
人物名読みまつもとだどう(まつもとだどう) 
場所伊勢松阪白粉町来迎寺 
生年 
没年 
本文

法橋通庵、名は重高、伊勢国松坂の人。北畠の庶流なれども、其先、同国山村に住せしよりこれを氏とす。為リ人ト無我にして正直、禅に参じ、又茶、香、瓶花のごとき風流の伎芸に通ず。医は後藤左一に学びて、自右一と名のる。薙髪の後、通庵といへり。其言曰、師は灸治に心を尽せり。我は温泉の効を試んだめ、諸国に遊び、気味功能を熟験す。但馬城崎、上野草津は、其徳ひとしく天下に類なし、然るに路程遥にして、或は至りがたきもの有。是がために変方を制すと。即印施の方あり。後に記す。老ても志気不衰、さはやかなる人なりしが、同郷殿村氏なる人の家婦、死霊のために悩されて、病数年の間此霊のこと甚寄話なり。瓶原貞福寺洞泉律師彼国に下向のとき、加持力にて、霊事状を説て去れるまでの事実、その弟子恵隆の記に委し。これはその時侍座せる人にて予相識の憎也。 医至れば罵狂ひて敢て近づけず。唯翁至ル時其閫を越れば、病人室中ながら知て、大に懼レ、胗脈、按腹をもうけたるなど、其機鋒をみるに足り。また直にして不拘なることは、京師に在ける日、平家を語ることを学びしに、同門の人死たれば、その家に弔し、突然として牌前に至り、平語の哀なる所を心ゆく斗語て、直チに去ル。始終家人に一言を交へず。死者を悲しめども、家人には一面の識なければといへり。寛延未年七月廿日、八十歳にして家に終る。午時自ヲ脈を按テ曰、命終今一時なるべしと。果して未刻に逝す。辞世の頌有。 本来ノ宗風。無ク端達通ス。眼光落地。自性真空。 (本来ノ宗風、端無ク達通ス。眼光落地、自性真空。) 但馬城崎上野草津 温泉ノ変方 助ケテ気ヲ温ニシテ体ヲ。破リ瘀血ヲ。通ズ壅滞ヲ。開キcxC0020005理ヲ。利関節ヲ。宣暢皮膚肌肉。経絡筋骨ヲ。癥疝。痱痙。痺痿。手痺。脚痺。攣急ノ諸痛ミ。消シ腫ヲ。治シ痔ヲ。微瘡。下疳。便毒。結毒。登漏。疥癬。諸ノ悪瘡。撲損。閃肭。婦人ノ腰冷。帯下。大凡痼疾。怪痾。洗浴多シ効。 但馬城崎上野草津 温泉変方 気ヲ助ケテ、体ヲ温ニシテ、瘀血ヲ破り、壅滞ヲ通ズ。cxC0020005理ヲ開キ、関節ヲ利シ、皮膚肌肉、経絡筋骨ヲ宣暢、癥疝、痱痙、痺痿、手痺、脚痺、攣急ノ諸ゝノ痛ミ、腫ヲ消シ、痔ヲ治シ、微瘡、下疳、便毒、結毒、登漏、疥癬、諸ゝノ悪瘡、撲損、閃肭、婦人ノ腰冷、帯下、大凡痼疾、怪痾、洗浴効多シ。)   潮水五斗潮水なき国々にては常の水に塩一割入て用ゆ、効同じ。 米皮糠壱斗。

鵜目硫黄六百目、細末にして布の袋に入、糠を煎じたる湯の中へふり出す。   右、潮水四五斗の内を弐斗分、米皮糠一斗を入、糠の赤くなるまで煎じ、其湯を飯簀にて桶へ漉し、居風呂へ入る。一日に三度づゝ浴す。風呂の湯熱き時は潮水さし入る也。冬三月は十二三日、他月は六七八日も不変ヘ、六七の暑月は、四五日過て上水を取捨、新なる潮水、米皮糠、硫黄も初の半ほど入べし。諸病にさはりなし。」 右、印施の儘を写す。翁歿後四十年に向とし、今は世に残らねば、因に記して世を恵むの志を嗣のみ。翁はおのれがゆかりなれば也。私云、浴湯は遇不遇、その稟賦病症をはかるべし。凡実症にはよろしくして、虚症にはよろしからず。 ○松本駄堂は同郷の人、外科を業とす。通庵と友とし善シ。参禅と豪放の気象も相似たれば也。其室中に通庵ごとき友人の像を図して、つねに相対するおもひをなすといへり。観音を信じ、自称して此観音といひ、後には又此阿弥陀といふ。其髭手三束に及ぶも、一旦、石山に祈て如此ノし語られしとなり。尤風水によし。水なき家は此人を請じてトを乞に、自ラ其場を歩み試み、杖をたてゝこゝを掘べしといふ。指揮のまゝに穿てば、必清泉を得ぬ。また老ても建なる人にて、熊野にいたり、人参の出ることを考へ、官にまうして掘しむ。熊野直根は此人に初るとなん。尚伝ふる話多き人なれども、今具には記得せず。近来人知れる悟心和尚は此人の子也。悟心は印章を刻するに名あり。詩を好めり。書は子昂を学ぶ。洛東岡崎に住庵せられし時は、自宗の僧終南とともに、風流の一双と称す。予も親しかりしが、後に伊勢に帰り、中間村浄光庵といへるを創し、そこにて終られき。

図版