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人物名

人物名いとめ(以登女) 
人物名読みいとめ 
場所若狭国三方郡早瀬浦 
生年 
没年 

本文

いとめは、若狭三方郡甲瀬浦、佐左衛門が妻なり。孝心深くよく舅姑に仕ふ。姑は先に死し、舅年八旬に余り、老耄して非理なることをいひのゝしれども、少しも逆ふ色なく給仕す。ある日、いとめ外より帰りたるに、老人藁をちらして孫とあそぶ。何事をし給ふとゝヘば、子産まねしてあそぶ也といふ。さらばわれも子を産んとて、又藁を持来り同じく戯ルれば、老人興に入ること斜ならず。其他のあつかひもおしてしるべし。蒿蹊云、老萊子が児戯をなすにならはずしてあたれるもの也 一とせ深雪軒をうづむころ、茄子の羹を食んといふ。いと心よくうけがひ、近きほとりの寺に走りて、茄子の糠漬をもらひ、水にひたして塩を去り、羹にしてすゝむ。又一年冬のころ鮮魚をもとむ。折ふし海あ、漁なければ、いかにともせんかたなけれど、さらぬさまにもてなして門に出、とやせんかくやせんとおもひ煩らふ折、忽足のもとに魚おどりたり。いとめ天を拝みてよろこびて、即調じてすゝめけり。隣の人見しには、鳶魚をつかみ来ていとが家の棟にとまりしが、やがて魚を落して飛去リたりとぞ。これ誠に孝の心鬼神に通じけるならん。つひに其行状を国侯聞し召、米若干賜り、家の租をも免し給ふとぞ。

(追記)

思孝云、はじめ茄子を羹にせしは晋の石崇が豆粥を熟したるに似たり。魚をえたるは王祥が故態に同じ。孝の切なるより、智も発し、感応にもあづかれり。此孝女のこと委は孝婦集といふものにみゆ。ことしげゝれば畧して挙グ。

蒿蹊云、前編に出せる大和の伊満女、河内の清七など、鰻を得、鶉をえたる皆同例也。さきに評せるごとく、たゞ昔の物がたりとのみおもふべきかは。誠の感通は和漢古今の別あるべからず。