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人物名

人物名里村紹巴 
人物名読みさとむらじょうは 
場所奈良  奈良極楽院  京都大徳寺正受院 
生年 
没年 

本文

里村紹巴、本姓は松井氏。幼して興福寺中、明応院の喝食たり。はやく志ありて、たとひいやしきことゝいふとも、必名を天下になさんといへり。時に周桂といへる時宗の僧ありて、たまたま南都にきたれり。連歌をよくするがために、これを好むもの其門にあつまる。紹巴もとより本土の連歌師大東正云に学びしかば、此時ひそかに周桂にしたがひて平安にのぼる。是よりくるしみつとめて、その技妙にいたり、王侯士庶みな師としあふぐからに、其名天下にあまねし。時に里村昌叱あり、連歌において紹巴と名を斉しうす。松井の氏まぎらはしきゆゑあるをもて、かの里村を冒となん。又臨江斎の号は三条西称名院殿の給へる所、即公の御染筆臨江斎の三字、并に、天竜寺の策彦叟の添書等、南都に伝へ持る人あり。さて後、法橋になれるもまた故有。明智光秀、本能寺に押よせ、事遂げて後、城介信忠のおはす室町妙覚寺へいたる。妙覚寺の構疎かなれば、其南隣陽光院の宮後陽成院の御父、御即位に及はずして崩。 の小池の御所をかりて城介殿うつらる。陽光院ノ宮は禁中へ遁させ給ふに、事急なれば乗輿なく、歩洗足にて出させ給ふ。折しも紹巴其門を過、やがて自輿をくだり是を奉りしかば、此賞として法印位を賜りしに、恩を謝し奉りて後やがて法服を返し奉りていふ、危を見て節をいたすのみ、豈酬をはからんやと。こゝにおいて法橋に叙せらる。豊太閤の時に至りて、屢眷をかふむり、其名ますます高し。技能妙に至る者七人、紹巴其一人也。宅を大炊御門堀川の東南賜ふ。今も紹巴町といふ。大炊御門は下立売也。宝珠庵と名づけられしが、如意嶽をひがしに見る故なりと、花顚は記せり。 後秀次の師たるが為に疑を蒙り、三井寺に謫せられ花顚云、三井寺中、荘厳寺也。 みとせを過しが、終に赦にあへり。紹巴の子玄仍、玄仲みなよく業を嗣りと、東涯先生の盍簪録にみゆ。東涯の祖母は玄仲の長女なれば其詳説を先人にきけりとなん。されば先此説を挙ゲ南都のこと又おのれよく正す所あり。次に花顚がしるし置る所を掲ぐ。これは貞徳翁の戴恩記によれる也。紹巴、貞徳両翁もまた師弟の間、親しく見聞する所の記なれば皆実事也。先に見えたる連歌を学れし間、もし成らずは百万遍の長老の挙状をとりて東行し、大岩寺にて談義法師とならんとおもへるに、いくたびか袋を荷て出立んとしけるを、小川宗叔能の脇師にて名あり いたくをしみてとゞめ、終にことをなせり。後富ミ栄ヘても、もと貧しかりしことを忘れず、寝衾を人にまかぜず。又和歌の道は称名院殿に学びしかば、其御墓に詣ること生涯怠らざりしとなん。其人がらしるべし。又生得力強き人にて、秋の田といふ処にて、思孝云ふ、秋田といふ所未孝。もし秋の野の道場歟、其寺は其比烏丸二条の南に有しとぞ。 辻切のものに逢しが、それを抓み投て、刀を奪ひかへられしを、小田公聞給ひて、御褒美にあひし事あり。また少しも媚る心なし。或ル時、太閤の御前に侍りしに公、cxC0020002

おく山にもみぢを分て鳴螢。

といふ句を成れて懐紙にしるせと仰有しに、紹巴頭を掉て、御句にはおはしさむらへど、季もたがひ、螢のなくと申ことは有まじき事也、とて、筆をとらず。公も色を変じ給ひ、それにてもくるしからず、と仰けれど、いかにも宜からぬよし申ける。凡此公の御詞をかへすものは四海のうちになかりけるに、かく争ひ申を、玄旨法印、いまだ藤孝といひし時にて座に有、いや、螢も所によりて鳴ものにや、いづれの集にか、cxC0020002

むさしのゝしのをつかねてふる雨に螢より外なく虫もなし。

とあり、御句よろしからん、と取なしければ、公それみよと仰けるに、紹巴もことばなくて筆を染けり。さて、其翌日藤孝の御もとに参りて、きのふのうたはめづらしきことに侍り、何の集に誰人の所為にや、と尋られければ、大笑ひし給ひ、律義なる人哉、あのやうなるうたがいづくにあるべき、あれはわぬしが首を継たるなり、此後何事を仰すとも、かまへて争はるゝな、といましめ給へり。さればまた或時に公、cxC0020002

谷かげに鬼百合さきて首ぐなり。

といふ句を仰給ふ時、紹巴二三遍沈吟して、いかにも神妙の御句也、とて、懐紙にしたゝめければ、公、紹巴が顔を御覧じ、螢はなかざりしが、百合はぐなりとせしか、と仰給ふ時、紹巴、よろしき例も候、慈鎮和尚、まくずが原に風さわぐ也、と仰られ侯と申けれは、不斜興じ給ひ、紹巴はかしこきもの也、と仰けるとぞ。かの三井寺に蟄居の時、貞徳翁とぶらひて、ひねもすもの語りしつゝ、

しがのうらやよせきて氷るさゞなみも春にはやがて立ぞかへらん

といひて別れし。その翌る春、免しを蒙りて帰路し、後逝せらる。慶長五年也。大徳寺中、正受院に墓あり。